体験談

シベリア学実習


 Miku Maeda

 Hokkaido University
Graduate School of Letters
 Master’s Course 2
Period of time :1  July, 2018 ~ 9 July, 2018
Host University :Irkutsk State University / Far Eastern Federal University

私はこの度、ロシアのイルクーツク市およびウラジオストク市を訪れました。私の専門は通訳翻訳学であり、とりわけ先住民族の方々との関わりが多い中、この度のプログラムを通してロシアの先住民族政策について知見を深め、今後の研究と通訳翻訳技術の向上に役立てることが参加の目的でした。こちらの報告書ではこの度訪れた二都市での活動について都市ごとにご報告させて頂きます。

<イルクーツク市>


私がまず始めに訪れたのは「シベリアのパリ」イルクーツクです。工商、交通の要地として栄えたこの街は、シベリア鉄道でモスクワとも繋がっています。イルクーツク到着の2日目には早速、イルクーツク国立大学にて講義を受けました。テーマはSiberian Indigenous Peopleです。シベリア先住民族に関して特に言語を中心に概論的講義を受けました。1917年のロシア革命以降、ソ連が少数民族言語保護政策を打ち出すもあまり効果が上がらずに終わり、現在のロシア政府が行なっている保護政策もあまり効果が望めていないとのお話を伺いました。こういった状況は、ロシアだけに特有ではなく、世界の先住民族の多くが抱えています。つまり、世界共通の問題であると言えるもので、国境を越えてこういった問題を考えて、議論し、取り組みを共有して改善してゆく必要性を感じ取りました。

イルクーツク滞在中には、この他にもCooperation in Environment Sphere of Northeast Asia Countriesと題された講義において、持続可能性な開発の必要性とその障壁、今後の国際関係について学びました。またイルクーツクは世界最大の深水と透明度をもつバイカル湖の近くに位置することから、Biodiversity of Baikal Regionと題した講義において、バイカル湖の生態系とそこに影響を与えているロシア人のシベリア開発や近年の観光客増加などについて知り、生態系維持の必要性を学ぶ機会を得ました。講義の翌日にはバイカル湖を訪れ、また道中では18世紀頃のロシア人村を再現した屋外博物館、Taltsy Museumを訪れました。帰りにはバイカル湖について学べるLimnological Museumを見学しました。


今回のプログラムでは、Irkutsk Regional Museumを訪れる機会も得ました。二階に分かれており、一階ではシベリア先住民族に関する展示が並んでおり、奥にはロシア人入植後に関する展示がありました。二階はそれ以降の歴史展示です。狩猟、トナカイ放牧、漁業、自然崇拝、儀式など他の世界の先住民族と共通の生活様式をもっていた点では共通ですが、ロシア人の入植前より、多数の先住民族が存在し、言語的にも違いがある中でもシベリア先住民族は周辺国の人々との交流がありました。特にモンゴルとの交流は深く、言語的にも交流があり、シベリア先住民族の中には文化的交流によるモンゴル文化の名残りが、その衣装の模様や形に確認できる場合もあります。ロシア入植後に関する展示には、イルクーツクという街がヨーロッパ文化とアジア文化、とりわけ中国文化との交流点であったことを示唆するように、ヨーロッパ式の陶磁器が展示されている一方で、中国の茶の文化浸透を象徴するように中国式ティーセットが展示されていました。

一階部分は、ロシア人の入植までの歴史展示でしたが、植民地化の歴史を考えれば、ロシア人のシベリア開発の過程に起きた、先住民族との衝突や同化政策など負の側面が必ず起きていたはずです。今回の博物館展示は非常に興味深い展示物であふれていただけに、そういった負の歴史展示があまり見られなかったのは少し残念でした。過去を見ることができる博物館こそ、過去に引き起こされた過ちを伝え、未来に伝えてゆく場所であるべきだと思います。これはロシアの博物館だけでなく、日本も含めた博物館のあり方として、過ちを隠さない展示の必要性を考える良い機会となりました。
また、ウラジオストクを含めたロシアの博物館に共通して言えることではありますが、外国語表記がなく、説明はロシア語表記のみが圧倒的に多いです。全ての観光客にある訳ではないのでしょうが、展示付属の説明ではなく、実際に学芸員の方が展示物を使ってガイドツアーをしてくれるという授業型ツアーが多いように思いました。

<ウラジオストク市>


沿海州地域の首都、ウラジオストクは軍港として開かれた都市です。私が滞在したのは、極東連邦大学の大学ホテル。ホテルは2012年にAPEC首脳会議が開かれた際に整備されたものだそうです。ウラジオストク初日は、キャンパスツアーから始まりました。イルクーツク国立大学が、街の各地に研究棟が分散されているのに対し、極東連邦大学は各研究棟が集まり、まとまりのある印象を受けました。建物はAPECで使用されたのち、大学のキャンパスとして使用されています。ロシアが近代的な極東のイメージを各国にアピールしたかった意図の名残りであるのか、建物は非常にモダンなデザインである上、カフェが設置されており、ガラス張りの壁があるなどオープンなイメージを与えるデザインでした。見学させて頂いた図書館は蔵書数が少ない印象を受けたものの、車椅子の方用のプリンターが設置されているなど、バリアフリーにも配慮しているようでした。

ロシア側のRJE3参加者との茶話会もあり、数人のロシア人学生と交流をしました。もっと多くのロシア人学生が茶話会に参加してくれればよかったなと思いましたが、ドキュメンタリーという自身の研究テーマと共通点をもつ学生と交流することができ、情報交換、今後の研究での交流計画を含め、研究上の人脈を形成できたことは大きな成果でした。
翌日には2つの講義を受けました。一つはIndigenous Cultures of the Russian Far Eastと題されたロシア沿海州の先住民族に関する講義。沿海州地域で生活する16の先住民族の精神文化を中心に、伝統的芸術に見える彼らの生活や文化についての説明を受けました。2つ目の講義は、Overview of the History of Colonization of Siberia and the Russian Far Eastと題して、今度はシベリアの歴史をロシア人側からみた講義を受けました。陸上移動、海上移動、鉄道移動を経て進められたシベリア開発の歴史を、植民地的観点から概論的に述べられました。極東地域の文化的豊かさは、労働者が西側から移動してきて人口増加をもたらしたことに起因していますが、一方でそのような極東へのロシア人移住の過程は、先住民族に対する植民地化という性質も孕んでおり、歴史的事実が語られる立場によって、その響きが180度異なったものになり得ることをあたらめて実感しました。

極東連邦大学の博物館も見学させて頂きました。興味深かったことは、日本語科が開設されていた時期の陶器や着物が展示される中に、比較的新しい開設としてベトナムに関する展示も多くあったことでした。太平洋
に面し、東南アジアに勢力を広げるための拠点としてロシアがベトナムを重要視していたのか、それとも同じ社会主義のシステムをもった国であったためか、あるいは他国同様、労働力確保地としてのベトナムに可能性を感じていたためなのか、主軸とされた理由は定かではありませんが、いずれにしてもロシアにとってベトナムが他の東南アジア諸国よりもアクセスの良い国であったという事実がみて取れました。

<最後に>

この度、イルクーツクおよびウラジオストクという二つの都市を訪れ、ロシアに対する私のイメージは大きく変わり、ロシアに関する知識も深まりました。私の本来のプログラム参加目的であった、ロシアの先住民族政策に関しての知識を深め、今後の通訳翻訳技術の向上を図るという目的はある意味では達成されたものの、シベリアおよび極東地域の歴史は広く深く多角的で、滞在期間だけでは到底網羅する事は難しかったのが現状です。しかし、ロシアの先住民族の取り組み、そこから何を学び、今後どのような知識を伸ばしてゆかなければいけないのか、今後の道筋を見つけることに繋がり、帰国後の今もその取り組みは続いています。
先住民族の方々が抱える問題は、一国の問題ではなく世界共通の問題であることが多いです。それは例えば、伝統的生活維持の難しさ、少数言語の消滅危機、アイデンティティの選択、差別などが挙げられます。これらの問題に対して先住民族の方々だけでなく、全て人々が共に問題を共有し、解決に向けて努力してゆく必要があると思うのです。時間はかかるかも知れませんが、各地で叫ばれている声を世界に伝え、問題を共有し、団結して解決してゆく、そんな過程に、私の研究している通訳翻訳という技術が、皆様の声を橋渡しするための一助となればこれほど嬉しいことはありません。この度のプログラムを通して私は、ロシアから多くのことを学び、自分の今後の課題を見つめ直す機会を得ました。自分の将来において、どのような立場になったとしても、日本とロシアの、そして日本と世界の声を繋いでゆける人材でありたいと願っております。